『飛翔』 
つながっている世界へ、上手に飛べ。

当サイトはリンク・フリーです。
承諾も必要ありませんが、知らせて頂ければ私が悦びます。
相互リンクは『手紙』か『伝言』もしくは歩行中の私まで。

なお、各サイトの順は私が登録作業した順であり、
なんらの特別な意味も存在しません。あしからず。

かつて黎明期のインターネットワールドでは、
このようなリンクのページは必須のものでした。
なにかをさがそうにも手段がなかったからです。
個人情報までもが検索できる現代になり、
私のもとへはリンクの削除依頼が増えました。
そんなこんなで紆余曲折。
すでに閉鎖しているサイトが若干存在しますが、
私が名残惜しむ限り消えません。愛です。
音信不通な数名のみなさま、連絡、ずっと待っています。
相互リンク以外は私の時事的趣味で予告なく変更削除する場合があります。
そしてもちろんこれからも、相互リンクを追加する準備はいつだってあります。
ツイッターのフォローのように一方的に解除できないつながり。
あなたも泥沼に踏み込むような深い関係を望んでみませんか。

あと、飛んだ先の世界で
暴れまわるのはやめましょう。
お行儀よく、ね。


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吉秒 匠  (ヨシノギ タクミ)
とかげの月 (トカゲノツキ)

URL: http://yoshinogi.web.fc2.com/
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赤井都 / 赤井戸

その戦歴たるやまさに圧巻。驚異の小説書き赤井都さまのサイト。近ごろサイト名も変更されて、よりシンプルに直線的な覇気を放出されている、近づくだけで火傷しそうなサイトです。飽くことを知らぬ貪欲な表現力に裏打ちされた「小説屋」としての職人魂。読者に与えるだけではなく、与えてもらうのだという徹底した姿勢が、往々にして引きこもり自己満足に陥りがちなあらゆる個人創作者の目を醒ます。筆名からしてあいうえお順で「赤川」よりも前に出る、というのが由来だってんだから筋金入りです……ええ、作家名が羅列されるときにはいっつも最後列付近に陣取っています私の目も醒めますとも(笑・そんなこと筆名つけるときに考えもしなかった……いわれてみれば確かにこれは損してるなと思うときがありますね。自分の名が「会社名」だと考えるなら、当然その辺りも考慮するのがベターでしょう。私はいまさらですが、これから筆名を考えるあなたにしたって「赤井都」の前に出るには「相川翔」とか限定されてきます。悩め)。ありがとう。ほら、あなたも尻を叩かれにゆきなさい。

ところで先日(2006年初頭)、たまたま私の愛読している日経流通新聞『MJ』に赤井都がインタビューを受けている記事があって驚いた。どうやらこの人は、近頃『豆本』界のトップランナーでもあるようだ。奥深し。

ちなみに赤井さまとも(以下カッコ内、かつてはあった文章を削除いたしました。赤井さまが、過去のサイトを削除されたということは、その当時の私とのつながりも隠しておきたいということでしょうから)

(その後、豆本職人として名をはせる赤井都さまは『赤井戸』とは別の専門サイトを立ちあげておられ、旧サイトはリンク切れの状態になっています。が、許される限り、現状で維持してみたい。赤井都さまの最新のご活躍は、ググれば三秒で知りまくれます。あいかわらずの発信能力の高さ。作家とは産みだす者でありながら営業マンでありキャンペーンガールでもある。こちらも身が引きしまる思いです)

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天海美冬 / AMAMI'S ANEX

可愛らしいデザインにもかかわらず、中身はパワーあふれる小説書き「天海美冬」さまのサイト。第32回花丸新人賞奨励賞受賞後、雑誌『小説花丸』などを中心にご活躍中です。2003/06/15にてサイトは閉鎖されてしまいましたが、その理由も「いろいろ前向きに考えた結果、こうした方が今後自然に執筆に集中できるということで」……ぬう。頭が下がります(そんなのばっかりだな(笑)。でも実際、尊敬できる相手でなければ長くはおつきあいできないものだから)。天海美冬の小説は、その名が示すようにきれいです。思い悩む作中人物たちは、全員、例外なく前を向いて、その方向を向き続けるために悩んでいる。頭が下がります。なんにせよ、サイト閉鎖だろうがなんだろうが私が好きな天海美冬の名をここに残してなにがわるいっ。
というわけで。
毎回、期待を裏切らない「かたくなさ」を魅せてくれる。
そこが好き。
その道の先になにがあるのか、きっと天海美冬自身が楽しみにしている以上に、私が楽しみにしております──昇華に昇華を繰り返した果てに生まれる天海美冬の結晶は、きっとえもいわれぬほど美しいものになるでしょう。
遙か彼方を目指す「かたくなさ」をなくさないで魅せていて。


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宇川征二 / The liquid feelings gallery


「徒然」にもよく登場する、友人にして絵描き屋「宇川征二」氏のサイト。実は彼にはまた別の顔があり、そちらに最近注力中のため更新は激遅め(ていうか停止中)なのが、彼の別の顔の本気度を表しているといっても過言ではない。私としては旧タッチの彼も捨てがたいので気長に待つ気満点ですし勝手に待っているぶんには作家本人であろうともとやかく言われる筋合いなどありません。シュールです。そして美しく。匂う、あなたをいまでも、いつまでも待っていますとも。ちなみに彼は私の世に出ていない小説や戯曲も数多く読んでいるうえ、エロもの書きな私や、絵描きな私まで熟知している、吉秒匠の生き証人でもある。宇川氏の妖艶なる異界美の世界、御堪能を(本人は近々大幅なリニューアルを敢行すると発言していたが、真偽のほどは定かではない)。


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バナーは想い出。リンク先は現行更新されている彼のサイトで間違いなし。とりあえずこれでいいでしょう。私も最初のころはあっちやこっちへ彼の作品を追って観たりもしていたものの頻度が高すぎて、いつしかフラットな姿勢で対峙するようになりました。絶えず描き、絶えず世に問うている。えらい。


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村瀬リコ / それはそれとして


かつてさまよっていた森でたどり着き、私の頭を悩ませ、同時に微笑ませた。あの『でたらめ文学館』の管理人『村瀬リコ』さまが『神風特攻隊』を経て流れ着いた駅『Murase@Station』について私はこう書いた……「しかし模索はとまることなく、流動的に変化するその駅は、訪れるたび別の顔で、ともすれば「明日にはまたどこかへ流れて行ってしまうのではなかろうか」とさえ思わせる」……その予見はまさに的中し、今度の村瀬リコはアクセルぶっ放した感じで登場してまいりました。
シニカルにポップ。ぶっちゃけ毒舌。な村瀬節リコ・タッチは健在ながら、最近、なにをどう吹っ切ったのかは知らないけれども、妙に(そう、妙に)爽やかポップさん(ノッポさんではない)な雰囲気を垣間見せるので気が気ではありません。なにかたくらんでいるに違いないと思い始めてしまったら、その言葉の一つ一つが怪しく見えてくるから、あら不思議。味わい深い噛んでも噛んでも噛みきれないキャラですよこのひとは……好き(うん、村瀬リコは好きか嫌いかで論じるべきだと思う。だから噛んでみてもらうしかないんだよ。痛がらない程度に甘噛み推奨)。

なんか最近、同人活動はじめましたなんて連絡を頂いた……そのへんがふっきれたのか? なんにせよこの人が宣言してはじめたくらいなのだから、期待大なのである。

※2004/11 サイト閉鎖。
でもね、それは愛する人を見つけてともに暮らすため住処を変えた彼女が、そこで満足満腹な現実に舌鼓をうっている証。また、ちょこっと電脳空間に遊ぼうかな、と彼女の想う日が来るのか来ないのか。来て欲しいが、見えないどこかの住処で微笑み続けているリコを想っているのもまたたのし。なんにせよ、リンクが切れても名は残す。リコ・モニュメントとして。結婚オメデトウ。リコ・タッチもあいかわらず発揮しつつ、すえながくお幸せに。

※2007/02 復帰。
あらおかえりなさい。上のコメントを読んでもわかるとおり、正直、戻ってこないかもと思ったりもしていたのだけれど。しかし同時に、やっぱり戻ってきたんだという思いもあり。上手にピアノを弾けるなら、いっそ弾かないほうがクールだと他人は言うが、弾く本人にとってクールさなどどうでも良いこと。弾けるなら、弾かないと、弾き続けていないと自分が薄まる気がする。力を抜いて生きている気がする。きっとリコ・タッチを奏でる彼女も、そういう人種なのであろう。いっそはやしたてようか──足りないよもっと奏でて! もういなくならないで。


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孝山祐 / [Code Name 1]


ここは、孝山祐のオリジナル小説<批評含>サイトです。……と掲げる看板に偽りなし。小説の基礎は批評である、という事実をまざまざと見せつけてくれる『孝山祐』さまのサイト。なにせ、すべての最初に批評があるので、孝山さまにあなたの小説を評してもらいたければ、その前に彼女(なのですよ)の小説を評する必要があります。それゆえここで腕を磨くには、あなたがまず最低限「己の小説を差し出しながら他人の小説を批評する」勇気のある者でなければなりません(なのですが、このシステムは表向きには現在休止中。個人的にメールで頼み込んで読んでもらいましょう)。ただし、孝山さまは「美麗系」に分類したいその作品と同様に、非常に穏やかな方なので、あなたに勇気さえあれば実力がともなわないでも「とっとと失せろ」などと罵られることはありません……きっと。でも、そっとあの人の小説を読みに行くだけなら、あなたが物書きである必要はありません。連続詩『words』が最近、徐々に一人称に近づいている気がして、目を惹きます。

……本人は認めないでしょうが(このひとも自虐のケあり)、なんだかんだいって孝山祐は圧倒的に前を向いているし、愚痴るけれど諦めることはしない。小説屋にとって、読者の反応が受け取れない時期でも、いま自分が書いているものに「書く意義」を見出し続けることができるかどうかが、まさしく必須の「才能」だと思う。自らの設定する「高み」があって、そこを目指す作業は、他者から見てどんなに危なっかしく見えようとも、本人のなかでは独自の確固たる「高み」が見えているのだから、焦りも不安もない。本人は認めないでしょうが(認めないでくれという思いを込めてもう一度)、孝山祐の「高み」を見つめる姿には羨望さえ感じます。だれかを(なにかを)強く想っているだれかの姿というのは、それそのものが人の心を打つのです。たいていの人は、ピンときた瞬間に「愛してる」と口に出したりできないものだから。できる人がうらやましくて、私は意図的にその言葉を使うようになりました。

愛してる。当サイトリニューアル後、すかさず『伝言』に言葉をくれた天海美冬と孝山祐のことを、私はきっと生涯忘れない。大げさでなく。


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騒人


騒人は、ネットで活躍される作家(プロ・アマ問わず)の書き下ろし作品を掲載するオンラインマガジンです。ちゃんと編集が間に入りますので、玉石混淆のオンライン小説(エッセイなども含めて)の中で読み応えのある作品ばかりが集まっています。

というわけですが、別に私自身の作品がここで読めるわけではなく、読者として最近、訪れるようになったサイトです。読んでよかった作家に投票し、ランク上位の作家へ新作を依頼するシステムは、確実にサイト全体の作品水準を上昇させていて。選別の機能のないことがネット小説の弱点だとたびたび言ってきた私にとって、読者になりかわり駄作を駆逐してくれるこのありかたは、非常に好感度高し、なのでした。
ていうか、個人的に密かに敬愛する大路メッキー先生に日々、票を入れるためにも通っています(大路メッキーさまのサイトが突然消滅したまま行方不明なので、やむなくここにリンクした、とも言えます)。言わずと知れたことですが第11回ウィングス小説大賞編集部期待作受賞作にして大路メッキー・ウィングスデビュー作『パパイアン・ソープ』がいまの私を生み出したといってもまったく語弊などありません。その後、メッキーさんに憧れぬいて同じ賞を頂いた私は、そのときにはまた一歩先に行ってしまっていた大路メッキーという存在に歯噛みし、そこからまた走り出し、いまでもその背中を追いかけているのです。いわゆる巨人の星です。その星の輝きがなければ、私はすでに暗闇のなかで迷ってしまっていたことでしょう……

バーチャルクラスター・ネオブック
『きれいになったね』
大路メッキー・作
発売中!!

※そして『騒人』──2004/01/01 休刊。
 水面下で活動はつづくようなので、新たな形での復活を待とう。


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和泉瞳冴 / HEAVENLY MELODY


和泉瞳冴の宇宙。略してへヴメロ。情けない響き。だと本人が言っていた。叫んで吠えて喰いかかってきた闘争本能の塊のような貴女を、貴女は「過去のことよ」と忘れたがるでしょうが……私は忘れない(笑)。ともあれ、揺れ動く心理が如実に文章に表れる和泉瞳冴が、必要以上に洗練されないうちに観察しておきましょう……と言っていたのもすでに過去のこと。己が泥だらけなのを肯定することは洗練とは呼びません。しかしカットされてこそ宝石は輝くのだというその信念も、きっと嘘ではありません。傷口をさらしてみせるような叫びに娯楽性は存在しないと私は思いますが、それでもそこにある決意には敬意を表さずにはいられません。言葉を武器だと認識した物書きが研ぎすまされていく、その過程が、すまされゆく言葉で語られる。自らの少女を愛する彼女は、たゆまず。
私は眺め、続けられることを祈る。
研ぎ続けることが、最も困難なことだから。

しばらく密やかに身を隠していたようですが。
彼女はどうやら帰ってきたもよう。
うれしいね。

2009年初春、新サイトが更新されていることを確認はしているのですが。
公開は少し待ってください、とメールで言われた(だいぶ前の話)ので、待っています。
たぶん、忘れているんじゃないかなあ、こっちからメールしよっかなあ、と思いながら。


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aliceliddell / DinosaurTales跡地


aliceliddellさまによるジャンルを特定しないリンク集的な作りの謎サイト……その人が関心を持つニュースを知れば、その人のことがよくわかったりする。ある人は新聞の一面に隣の国で勃発している戦争を報道する記事があっても、気にもとめずスポーツ欄を開く。それが良いか悪いかは議論したところで意味などなく、世の中にはいろいろな人がいるからこそ、いろいろなニュースが流されているわけだ。そんな中、このサイトの『蝶々の纏足』でチョイスされるニュース群は、あきらかにひとつの方向性をもっている。それがどういう方向なのかはあなたに確かめてもらうとして、私の感じた印象は「十年前に読めば先鋭すぎるSFで、十年後に読めばくだらなすぎる昔話」。というわけで、今読んでこそリアルである……退化以前のとかげには、なぎ払うための尻尾と、喰らうための牙があった。日々のニュースの洪水に払われ喰われる前に……あなたが牙を剥け。

といった以前からの流れは継続しつつ(ってとこが実は一番スゲエ)、最近は写真とそれに添える一行詩の羅列で訪れるものを圧倒するこのサイト。シュールにして美麗な写真に毒気多めで直感的なひとこと。少なからずはっとさせられるのは、そもそも世界は毒々しく不条理そのものだからこそ綺麗なんだってことを、この人はよく知っているからなのだと思う……ええ、私もいたく同感です。

移転によっていまはもうニュースサイトではなくなってしまったのですが、ではさてなんになったのか。進行形です進化を見届けよう。


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ワタナベミヨコ / Neji Pocket


<心描人>ワタナベミヨコさまのページ。そして同時にワタナベミヨコの部分にあたいする人<池田陽葉 yo-yo ikeda>のページ。つまりはイラスト描きのクセに詩も綴る。彼女と私は、兄と妹をうたって絵画展を共同開催したこともある、リアルワールドの顔見知りです。だから知っています。彼女の描く絵と、綴る言葉に嘘のないことは。作中人物たちが総じて心地良さ気に目を閉じているのは、彼女に描かれたことが気持ち良いから。プロの職人として己に厳しく描くがゆえに、作品たちは、現実の厳しさから解放されているのです。ああ、本人は否定するでしょうけれど……あなたはとてもきれいな姿勢で生きている。毎日見る壁に彼女の絵があるくらい、私は、現実にワタナベミヨコ好きなのです……あなたもポストカード一枚、いかが?

なにを隠しましょう、上のバナーはワタナベミヨコに許可を得て、彼女の作品を素材に吉秒匠が独自に制作したものであり、このバナーが見られるのは『とかげの月』だけっ。このことだけとっても、私がいかに彼女と彼女の作品を愛しているのかが知れようというものです。妹よ、たゆまずゆけ。

なんかバナーできましたって言っているけど、せっかく作ったんで使い続けます。何かを繋ぐ小さな部品。志がはっきりしていてカッチョエエぜミヨコ。


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柊朱瑠 / 空の缶詰

柊朱瑠さまの[オリジナル文章メイン]なサイト。
柊朱瑠的世界は、基本原理として停滞を選択しています。とかく停滞とはネガティヴな意味でとられがちですが、あえて選択して停滞を描くならば、こんなにもきれいなのだと。教えてくれる、叫ばない囁きがここには在ります。明日が来ないことを祈り、こぼれた涙が落ちないことを願う。それは逆説的に告げられる「今」の刹那への凝視する視線。いまここですべてが終わったなら……ねえ、あなたは微笑んで、終われますか? そんなことを考えさせる彼女の「言の葉」は、どうやらリクエストすると増えるらしい(笑)。停滞の美を、安らぎを、もっと欲しいと願うあなたは、柊朱瑠という名にだけ向かって、叫びなさい。「今」のすべてを、納得に変えるために。

柊朱瑠の小説は、だから「終わらせる」ことを描く。太陽の光は少年に届かず、もう開かない扉越しに青い空を見なくてもいいかもしれない、そう彼は思う。消える存在、落ちる涙、終わる夏。すべてに終わりがあるから……いえ、すべてはもう終わっているのかもしれないから。だからこそ、ここで物想う自分を愛するのが正しい生き方だと想う……私が感じたことは、そう。あなたは柊朱瑠になにを感じる?


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Philip / さよならBiker


All contents copy right 2003- Philip@Werke All rights reserved.でお送りします。
ボヘミアンとしての走りと言葉の躍動を追求した結果、いつのまにやら関西系某大物アナウンサーの娘と結ばれてライダースーツを縫っているという人生は、本人にはいろいろ言いたいこともあるだろうが端から見ていて実にわかりやすい。流浪の民を自認する彼が、ジプシーにとってほかのなにをなくしても失うことのできない馬──バイクについても語るこのプロジェクト。『鉄馬録』は事故記録としてしか読めず、『黙示録』は免停までの記録でしかありえないことは読めば明らかだが、そもそもそれを「読ませてしまう」彼の文章こそが私と彼をつなげている。同じ劇団でまったく方向性の違う脚本を書いていたお互いが、年月を経て、バイクを並べてうんぬん語っていることは偶然ではない。私は、彼の文章が好きなのだ。
でもやっぱり、互いのバイクを見て「それカッコイイかぁ?」という会話をしているところが、私たちのつながりをあらわしてもいたりして。

行って、読んでみて。私がどうしても手に入れられないものが彼の文章にはあるし、それがそこに宿っているのは、やはり彼自身の流れゆくことをよしとする精神が、なすワザなのだから。触れてみないことには、伝わらない。

(2012/4/23 五年ぶりの更新を確認(笑)。リアルでは家族ぐるみのおつきあいなのですが、家族もつと男ってやつは、みたいなこともなく、フィリップはフィリップのスタイルを崩さず生き急いでいるのですけれど。更新しないとウェブ上では屍体。ということを他人の振り見て自戒する。語りすぎることを反省せず、彼にも今後とも語って欲しいものです)

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さらさら大根 / 大根心の旅


『大根心の旅』
リニュ直後にこれを書いているのですが「え? ここで合っているよね」というくらいにカラーが変化。しばし様子見ですが、どうやら森羅万象への知的考察を通して己の内面を見いだすBlogのようです。キャッチーな路線から一転、クールに白衣で語る縁なしメガネの理系研究室員(大部分想像)サイトへと変貌を遂げました。それはそれでキャッチーですが。ともかくおかえりなさいませ。Blogが続いていくなかで、いったいどこへ向かいなにが見つかるのか──ひとさまの人生を好奇のまなざしで興味深く拝見させていただきます。

※2008/10 あんまり更新していないから休止中で、と言われたのでいちおう書いてはおきますが。私的には、いま現在いくつもの週一で訪れるまったく更新されていないサイトというものがあり、そのどれもが、まったく更新されていないことを確認するために訪れています。その行為にこそ悦びをおぼえるというところはある。ということで現在休止中、でもリンク切れなし。ご本人もいたって変わりなし。それって休止っていうのかなと思ってしまったり。電車の窓から見える変化はないけれど確実にだれか暮らしている部屋というのは、なにも変わらずにそこにあり続けてほしいものです。ある日突然パチンコ屋になっていたりして、それって落ちこむんですよね。休止などと、かまえて言わず、気が向いたころ、さらっと戻ってきてください。

※2014/09 さらっと戻ってこられた旨、当サイト『伝言』にて、ご報告いただく。詳しい事情は存じあげませんが、とりあえず、前のリニューアルのその前のサイト紹介文は、削除しておきました。忘れたいかと思って。深読みしすぎでしょうか。いや本当にまったく事情は存じあげないのですけれど、私のなかで想像はとめどなく膨らんでいる。


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aifukakifutiyori / 陽の照りながら雨の降る


さて。なにをどこまで書いてご紹介したものか非常に迷うのですが、いくつかの名前と、いくつかの境遇と、いくつかの関係性をもってつながっている、現aifukakifutiyoriさまのBlogサイトでございます。ちなみに彼女は当方の『伝言』におけるハンドルネーム「ai」。ということで、ご判断は訪れ読み感じた、あなたの感性におまかせいたします。

私がこんなことを書くのもなんですが、かの人の「書く」という行為は、あくまでもその生き様と魂からの搾乳。ジャンルからいえば完全虚構の極南に属する書き手であるにもかかわらず、その言葉は、たえず実生活と並行して綴られる。書が読者に向けて絞る乳である以上、母体が喰って身にしたそのすべてが乳の栄養となるのはまっとうなことであり健全このうえないのですが、かの人の授乳は恨み節まじりです。いや誤解なきように、かの人の徒然る文章は愉しい。ただあなたが、かの人の「書」からこの道をたどるなら、私はおすすめしません。ええ、だからこそ……私がこんなことを書くのもなんですが……なのです。赤裸々に過ぎる。痛いほど。完全虚構のそれも極南に棲む書き手であるならば、そのBlogは世に向けて公表しないほうが吉なのではないかと……私が書くのもつくづくなんなんですけどさ。

ちょっと心配になるほどのぶっちゃけっぷりが最近は加速して、自分でもblogのタイトル変えましょうかとか書いているが、いやいいぞ、あなたは「書くことで救われる」という事実をそうやってセキララに綴り続ければ素敵。人生とは喜劇だとチャップリンも言っていた。歯車に挟まってる自分を喜劇に変換する魔法こそペン。きっとそう。『陽の照りながら雨の降る』。私には真似できない。私はそれほどに自身を取りまく世界を、濃く見つめられない。だから、憧れもあるのです。かの人が、今後、いかにそれを昇華してゆくのか、そこに生まれるものはなんなのか。やっぱり愉しみなのです。

※でも結局その後、タイトルは変更。それどころか現在、自身の名すら流動的。けっして私がリンクを貼り間違えているのではなくて、場所はそこで合っているのです。この紹介文書いている時点で、出逢いから長い。それでもいまでも、ものすごく流動的。本人は尖ったところがなくなりつつあると自覚しているみたいなのですが、やっぱりあいかわらず誤字脱字が多いので、殴り書いているのだと思われる。


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バカロ / オッド・リーダーの読感


サイト名からも推察できますように、本を読む人の、本について記された場所。だれかの書いた物語があり、それついてまただれかが語る。たぶん、それは物語の続きなのだと思う。ぜんぶひっくるめて、本ってそういうもの。

そしてこれもまたサイト名からわかる人にはわかるように、そこは『オッド・トーマス』を含むディーン・クーンツについても語られている場所。私はクーンツが好き。よいところもわるいところも含めて、クーンツという小説屋が好き。あなたが彼のことを好きか嫌いかは知らない。でも、それは触れてからのこと。多くの人が、クーンツを、そしてあまたの本とそのむこうの作者たちと、つながればそこかしこに愛が生まれて世界の闇の割合は減り、光があふれるのだと私は信じています。

あなたはあなたの片隅を照らし、みずからの闇を消せ。ヒトでできたヒトの世の、すべてを照らすことはそんなにも簡単。あなたはあなたの愛の書をさがすがいいが、しかしまあ世界には本があふれてる。オッド・リーダーの読感も参考に、次の一冊をさがしてください。


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